MMT、ステファニー・ケルトン教授が来日して語ったことに反論する

 最近、日本でもModern Monetary Theory(MMT)と呼ばれる考えが注目され、その提唱者の一人であるステファニー・ケルトン教授(ニューヨーク州立大学)が来日し、彼女の考えがメディアなどに取り上げられた。正直私はMMTがそれ程目新しい考えとは思わないが、経済学は長年に得られた共通の理解に基づいて議論するので、それはある意味当然とも言えるだろう。しかし、ケルトン教授は多少興味深いことも言っているし、経済学の考えの一部でも一般の関心を呼ぶのは経済学や経済学者にとって良いことの筈だ。ここでは第三者のおかしな解釈が入り込むことを避けるために、メディア等が伝えた中でも彼女自身が語ったとされる言説のみを参考にした。ケルトン教授の考えを知る上で参照したものとしては、記者会見三橋貴明×ステファニー・ケルト概論、MMT(現代貨幣理論)MMTと日本経済の謎、などの動画及び、日経新聞7月16日)、朝日新聞7月16日)、Bloomberg7月19日)の記事などである。

財政破綻はほとんど起こらないし、インフレもまたほとんど起こらないのか?

 財政破綻について語るためには、まず何をもって財政破綻とするか定義しておく必要がある。財政破綻国債のデフォルト、つまり国債償還に何らかの支障をきたすこととした場合、MMTを解説したものには、よく償還財源に通貨発行を充てれば(overt monetary financing)償還不能にならないと語られるが、これ自体は別に目新しいものではない。その場合に、従来の議論ではインフレが起きることが懸念されるので、国債償還できても過度なインフレが起こることを財政破綻の中に含めて議論することも可能である。しかし、ケルトン教授によれば、通貨(消費価値のない法定通貨、表券通貨)が人々にとって価値を持つのは、政府が発行した通貨による納税を求めているためであるしている。つまり、その結果通貨がゆくゆくは納税に必要となると民間が予想している限り需要され続けるので安定的な価値を持ちインフレにはならない、と考えるからであろう。従って、徴税能力の低い後進国では過度なインフレが起こり得ても、先進国ではインフレは起こり難いことと整合的であるという。このような議論を私は少なくとも数年前から目にしておりなかなか興味深いものであるが、この通貨価値の源泉に納税求めることこそが、むしろMMT財政破綻に関する主張では重要であろう。つまり、MMT財政破綻もインフレも起きないという主張は、財政支出に伴って発行される通貨がいずれは徴税で回収されることが前提であり、いずれにしても納税は不可欠なものである。例えばこれに対して、リフレ派の主張は、量的緩和中央銀行が民間から買い入れて通貨(マネタリーベース)で支払って国債保有することになれば、その分の国債発行残高は返済の心配はなくなる(統合政府)一方で、通貨の増加によってインフレが起きて経済が好転するというものだった。しかし、MMTでは財政資金の調達するのが国債発行でも通貨発行でも、単に増税を将来に先送りしていることには変わりはないので、国債と通貨を振り替える量的緩和を日本のような国でいくらやっても、インフレなど何も起きないと考えるのだろう。極端な言い方をすれば、増税して財政支出を増やしてもインフレが起きないと主張しているに過ぎない。

・インフレにはどう対処すべきか?

 ケルトン教授は記者会見で、過度なインフレが起こった場合にどう対処するのか?という質問を二度も受けている。何故二度も受けたかと言えば、彼女はそれに(二度とも)直接は答えなかったからである。以上で述べたように、徴税能力のある先進国では過度なインフレは起こりえないと考えるならば、起こりえないものに対し回答する意味がないと考えたとしても、それはむしろ一貫しているともいえる。

 一方で、ケルトン教授は政府支出に伴って発行された通貨の全てを(徴税で)回収する必要はない、とも述べている。通貨が決済手段としての便益をもたらすので、流通させておく通貨が一定量必要だからであろう。従って、政府は財政支出で発行した通貨(国債も同様に)の、どのくらいを徴税によって回収するか税制度を決めなくてはならない。もし民間が支払い手段として必要な通貨量よりも、多くの通貨が納税で回収されず「過剰」に流通することでインフレが起こるなら、インフレを抑えるためには「過少」な徴税を是正するための増税が必要となるだろう。この点は、インフレ・コントロール中央銀行国債と通貨の量を振り替えることで調節すると考えている主流の経済学とは一線を画している。インフレ率が高かった70年代くらいのアメリカの徴税能力が不十分だったのかはよく分からないが、この頃その徴税能力とは別に、政府が将来に亘って十分に徴税で通貨を回収しないと予想されたのかもしれない。しかし、このような考えはまだ主流とは言えないが、財政物価水準理論(FTPL)で同様にノン・リカーディアン・レジームとしてMMTよりずっと精緻に議論されるており、最近では決して目新しいものではない。また、ヘリコプター・マネーは政府が国債発行によってファイナンスされた財政支出が、徴税によって償還されないことを信用させようとするものである。いずれにしてもケルトン教授は、必要以上にお金を使ってしまうことがインフレを起こす要因として、徴税は民間がお金を使うことを抑制するものと考えているようであるが、政府や議会が税制改正で(通貨量を調節し)速やかにインフレを調整するのは容易にできるとする根拠はそれほど自明とは思えない。 

・インフレがないならクラウディング・アウトは問題ないか?

 財政破綻しないからいくら財政支出をして良いとは、MMTも言ってはいない。しかし、MMTケルトン教授は代わりに、インフレにならない限り財政支出の増加に問題はないとする。これはクラウディング・アウト(締め出し効果)や資源制約と関係している。利用可能な資源が有限であれば、財政支出によってある資源が使われれば、民間の利用可能分は減る。民間の資源への需要が減る一つのルートはその価格の上昇によるものであるが、インフレが起こらない限り、民間の資源の利用は締め出されていないと考えて良いだろうか?ケルトン教授は通貨価値自体が下落するインフレは起こらない(あるいは税制で制御できる)と考えている一方、コスト・プッシュ・インフレによる物価指数の上昇をむしろ懸念しているようであり、記者会見では物価指数のどの物価項目が上昇したか見極めて個別の項目毎に何等かの対処をすべきと述べている。例えば、賃金に関しては以下のように、フィリップス曲線を前提としているようである。ただし、それにはまず、各財項目の価格弾力性にもよることであるが、物価統計の正確さや統計調査における物価変動の認識の遅れ、更には行政の物価上昇の認識や政策決定までに掛かる時間もある。税制の変更もそうであるが、政府による意思決定によって個々の財市場や産業毎の物価上昇にどれくらい速やかにかつ適正な対処ができると考えているのだろうか?

 また有限な資源は、その時だけの利用を考えればよいわけではなく、それ以降の将来における利用も考える必要があり、資源の有効利用を物価や一時的な価格上昇だけで判断するのは無理があると言わざるを得ない。(政府の使い過ぎに関する)極端な例を挙げるなら、自然環境を開発しても、そもそもその市場は存在しないのでその価格の変動は起こりえないが、一度開発されてしまった自然環境が将来的に貴重なものとなっても、元に戻すのはほぼ不可能となる。一方、例外として労働は使う使わないに拘わらず時間と伴に失われる(ただし、使われなければ労働者の余暇としての価値が得られるかもしれない)。このためか、MMTケルトン教授らが重視する財政政策はJGPと呼ばれる、政府が直接雇用に介入する政策であるが、その詳細がどのようなものかについて発言した報道はみられなかった。一体、政府が労働者をどのように選別して、何をさせようとするのだろうか?JGPが単なる給付より優れた点はどのようなものなのか?今回の来日では明らかではない。

 ケルトン教授は記者会見で、日本の低失業率の日本でもJGPが必要なのか?と問われ、二年前のアメリカと似ており、完全失業率は考えられているより(あるいは統計に表れるより)もっと低いような状況なのではないか、と答えている(やってみても良いということだろうか)。(恐らく日本の人口動態や労働状況のことはあまり知らないのではないかと勘繰ったが、しかしそれ自体は無理からぬことだ。)確かに完全失業率を正確に知り得ることはできないが、一方で民間の資源の利用が制限されないインフレ率や統計上の誤差や遅れなど、同様の不確実性はMMTの財政政策が依拠するインフレ率にもある。労働をどのように利用し、労働者をどのようなタイミングで解雇するのか、政府がどのような基準で決めるのかも明らかではない。景気が良くなれば、JGPでの契約を解除して解雇しても、その時は民間で十分に雇用されると主張するかもしれないが、日本のような雇用慣行で、そのような政策を実行することが容易とは思わない。(ただし、私は政府が労働市場に介入すること全てに反対しているわけではない。例えば、就職氷河期を経験した30~40代で、正規雇用経験があまり多くない人材を正規雇用した場合に、10年間その賃金報酬の3割を補助する、というような政策であれば賛成である。)

・どうして低金利か?

 ケルトン教授は日本でも金利上昇が起こっていないのでクラウディング・アウト起きていないと述べている。しかし、金利上昇によるクラウディング・アウトは、賃金と物価が硬直的と仮定されるオールド・ケインジアン・モデル(IS・LM曲線分析)のような特殊な場合で強調されているだけである。そこでは資源制約の影響が現れるのは金利上昇によるしかないからである。しかし、IS・LM曲線分析はミクロ的基礎が欠如しているので、今では学術的な分析に用いられることはかなり少なくなっている。例えば、IS曲線は右下がりなので、金融緩和によって生産が増加しても、IS曲線がシフトしない限り金利は下がりっぱなしになるが、これでは景気回復と伴に金利も上昇する現実を説明するのは難しい。

 また、金利中央銀行が短期的にコントロールできても長期的に(実質金利を)コントロールするのは難しい。ケルトン教授は、日本の国債残高が累積しても金利が上がらないことは、MMTの正しさの証明とも言っている。しかし、日本の国債残高は比較的長い年月をかけて積み上がったものである。長期的には金利水準をコントロールできそうにないし、更にストックではなく、むしろフローが実質金利を決めると考えることもできる。つまり、日本が毎年の政府の赤字に対しても民間部門の貯蓄が大きいことが低(実質)金利の要因とも考えられる。実際、日本は現段階でも経常収支は黒字を保っており、依然として海外に貯蓄を供給している。フローを考えれば、民間部門が貯蓄して黒字となる場合、海外か政府部門は赤字になる。ケルトン教授は、財政支出が民間貯蓄を創出するというようなことを述べているが、重要なことは財政赤字が民間貯蓄を増やすとしても、国内の全体の貯蓄・投資バランスの貯蓄超過は減るだろうということであり、この区別がついていない可能性がある

 貯蓄は将来支出するためにするものであり、いずれ誰かの黒字に対応して赤字となった主体は、将来必ず黒字にして返済する必要がある。この基本原則を政府が免れるとしたら、民間部門はその貯蓄を将来の支出に転換することができない(国債デフォルトなりインフレーションによって)ということで負担が生じる筈である。日本や世界的に名目金利が趨勢的に低下しているのは、インフレが起きていないからである。通貨発行がいくら増えてもインフレにならないのでMMTが正しいなら、それは人々がいずれ増税されると予想しているからであろう。この場合、財政支出が(100%のリカード効果が起こらないとしても)ある程度消費を抑制することは理論的にありえる。ケルトン教授の言う通り徴税が支出を抑制するなら、財政支出の増加分が結局は将来の増税を予想させれば、仮に今増税されなくてもこの予想によって支出が抑制されるのではなかろうか?

・インフレがない限り財政支出に費用はないか?

  以上のように、財政支出(赤字)が何らかの理由で民間の支出を抑制する場合も、財政支出増加がインフレを起こさない可能性がある。また、財政支出に伴って発行された通貨は、既に述べたように全て徴税によって回収される必要はないが、通貨の保有し続けること自体も、誰かしらの購買力が使われないままであるという意味では負担なのである。例えば、誰かにお金を貸す際に、いつ返すかあるいは返すか返さないかさえ借り手が決めてよく、結局貸したお金がいつまでも返ってこないとすれば、それは借り手の支出を貸し手が負担したことになる。通貨を保有し続けるのはこれと同様のことだからである。

 以上のように、たとえインフレが起こらなくても、民間が利用可能な資源が減ることで財政支出には民間の負担が生じる。このため伝統的な経済学では、財政支出は費用便益あるいは費用対効果などと呼ばれる原則によっている。つまり、財政資金の使用には、様々な(社会的な)便益と費用を比較して実施すべきということに尽きる。この社会的な便益には、失業者に仕事を与えることは含まれて然るべきである。この原則に対し、これまでの経験から、政府が財政資金を便益や費用を正確に計算し、政治的で意図で歪められないという保証はないのではないか?というのは真っ当な疑問である。あるいは政府は財政支出について、費用対効果など真面目に計算などしていないかもしれない。しかし、そのような財政支出上の問題が大きいというのであれば、費用対効果の推計に基づいて財政政策を決める原則以上に、インフレ率が起こらない限り財政支出を増やしてよいという原則など到底受け入れられるものではないだろう。

 ・財政政策で成長でき、金融政策は無効か?

  デフレ・ギャップがある場合、財政支出によって生産は増加する。(ただし、財政支出をし続けないと再びギャップが生じる可能性は高い。)ケルトン教授は、財政で完全雇用を達成すれば更なる経済成長が可能と述べているが、その根拠は全く不明である。財政政策で人々の所得と自信を向上させられると述べているようであるが、そういうものだろうか?(そもそ自信(コンフィデンス)とは何なのか?)。完全雇用に達してギャップが埋まれば、サプライ・サイドの成長が必要であるが、財政支出のサプライ・サイドへの影響はほとんど語られてはいない。

 ケルトン教授は、アベノミクスやリフレ政策について、不況期では金利を下げても支出は増えないとして、金融政策に過度に依存すべきではないとしている。しかし実際には、アベノミクスが始まる前からゼロ金利政策であり、長期金利は下がったとはいえ、当初から1%を切っていた。つまり、6年間で長期金利がせいぜい1%程度下がっただけである。元々、リフレ派への日本の主流経済学者からの批判は、量的緩和インフレ目標でもインフレ期待が起こる保証はなく、その結果実質金利は下がらないだろう、というものであった。つまり、リフレ派は(実質)金利を下げるに失敗したのであり、量的緩和などを止めてマイナス金利深堀りをすべきなのだ。単に緩和そのものに失敗したのだから、(実質)金利が下がっていないのに金融緩和効果はなかったということはできない

 金利に関して、記者会見でケルトン教授は利子率を上げた方がインフレになる可能性を示唆した。この根拠として考えられるのは資金の貸し手の所得効果である。(ケルトン教授自身はそれを意図してはいないかもしれないが、金利が上昇した場合に政府の利払いが増えてプライマリー・バランスが悪化することでインフレが起こる可能性がFTPLに基づくとあるが、MMTでも同様であろう。)

 金利低下の効果は、それによって資金の借り手が増え支出を増やすという代替効果であり、金融政策によって金利が低下する場合、民間部門に資金の出し手の減少を補完するのが中央銀行である。ケルトン教授は少なくても完全雇用が達成されている場合とも言っているので、差し当たり代替効果を無視して、貸し手と借り手の資金は金利の変化に対して一定としてしよう。この場合、金利が上昇すれば、資金の貸し手の所得が増え、この所得の増加によって支出を増やすということのようだ。しかし、これは一方の側しかみていない議論であり、資金の借り手の負の所得効果が相殺することを無視している。逆に金利がゼロよりもマイナスに低下した場合、資金の借り手に正の所得効果が生じる。資金の借り手側、貸し手側、どちらの所得効果あるいは所得に対する支出性向が大きいだろうか?私には借り手の所得効果の方が大きいと思う。

 更に代替効果が加われば、更に金利低下は支出を増加させる。ゼロ金利で十分な投資などの支出が増えないことから、マイナス金利を深堀りしても効果がないと言うことはできない。例えば、現在は需要の増加が見込めないので、金利をいくら下げても投資需要は出てこないと信じている人もいるが、企業の設備投資は能力拡大型だけでなく、費用削減に繋がる投資も多いものだ。費用削減に成功すれば、売り上げが伸びなくても利益を増やすことができる。費用削減としても、人件費のすなわち労働の省力化が大きいが、むしろ人手不足が心配される昨今であれば、そのような投資は大いに行われるべきである。仮に企業が投資をふやさなくても、先に述べたように借り手の所得効果が貸し手のそれより大きければ需要は増えるのである。経済が好転すればいずれ金利は、生産性や資本収益の改善を通じて上昇する。財政赤字によって財政支出を増やしても長年金利が上がらないのはMMTの正しさではなく、財政では生産性を上げられない証拠である可能性すらある。

 金融政策あるいは中央銀行は今後、インフレ抑制の使命は徐々に低下していくかもしれない。しかし、そうであっても、マクロ安定化政策としての金融政策や中央銀行は依然として重要であり続けるだろう。以上のように、金利低下は需給ギャップを(物価とは無関係に)埋めることができる。更には金利低下が投資を促進するならば、経済の停滞によって遅れる資本蓄積を、本来の状態に戻すことを後押しする。サプライ・サイドの成長は、技術進歩とそれをサポートする民間の投資が重要である。サプライ・サイドの成長が公共投資JGPで主導できると考える根拠は不明である。

・政府がまず最初に通貨を発行することは重要か?

 これは、MMTは政府が最初に通貨発行するにはまず財政支出が必要であることを強調していることと関係する。それに対して通常の経済学はこの点はほとんど無視されるが、その理由はそのような順序は殆ど本質的ではないからだ。もちろん、通貨(現金及び準備預金)の発行権は政府にあるので、政府が通貨を何らかの手段で発行しなければ市中に流通するのは当然だが、そのため通貨の発行では政府の支払いから始まる必要があるように思えるかもしれない。しかし、これは不可欠なことではなく論理的には、政府は納税のための資金(通貨)をまず民間に貸し付けてそれを納税させてもよい。また、まず政府が現金をばら撒いてもよいが、それは非合理なので政府が何らか(労働などを含む)の購買の支払いに通貨を使って、その後にそれらを納税させることになる。通常の経済理論では財政支出と通貨発行の順序などが重要となることは殆どないが、それはこのように(財政支出に伴う)通貨発行と納税の順序は、何ら本質的な問題をもたらさないからである。

 民間銀行の信用創造では、現実にはMMTが主張するように銀行が保有現金を貸し出すわけではないが、現金を貸し出しても殆ど同様の信用創造の議論は成立するのでこの違いは本質ではない。伝統的な経済学でよく見られる、民間銀行の発行する通貨を含むマネーストックと政府発行通貨であるマネタリーベースの比率である信用乗数が一定のような説明は、あくまでも説明上の便宜であり現実がそうだと主張しているわけではない。よく読めば(行間かもしれないが)それらは全く本質ではないことが分かる。最近増加しているMMT支持者が、このような多少の現実性からMMTが優れた考えと思うなら、それは全く間違いである。

・まとめ

 ケルトン教授が来日して語ったことで私が何か考えを変える必要に迫られるようなことは何もなかった。MMTの金融やインフレに関する議論はもはや目新しいものではなく、主流とは言えないまでもFTPLなどでより精緻に議論されている。財政赤字が増えてもインフレにならないという根拠は、MMTに基づいて考えても、通貨価値が保たれるのは徴税によるのであり、今増税しなくても良いがいずれは増税されると人々が信じていることによる。MMT財政支出の費用や負担がないことを正当化していると考える人がいれば、それは間違いである(そう考える人は何故そうなのか論理的に説明を試みればよい)。財政支出によってインフレにならないとしても、労働を含め政府が資源を利用することは民間が利用できなくなることに代わりはない。

 MMTに最も違和感を感じるのは、インフレにならない限り財政支出を拡大しても問題はない、と考えるところである。伝統的に経済学によれば、財政支出には案件毎に費用対効果を考えるべきである。私は原則として均衡財政でなければならない、と書いてある経済学の教科書を読んだことはない。従って、経済学が均衡財政主義を主張していると批判するのは間違いであろう。ケルトン教授はIMFなどが均衡財政を推奨することを批判している。しかし、ある程度の財政規律が実際問題として必要な理由も存在する。例えば、多くの国では財政ファイナンス、つまり財政支出国債償還のために、中央銀行が次々と国債を引き受けて通貨を発行することは禁じられている。この制度を前提とした場合、国債が償還できなくなれば、政府が負債をロール・オーバーできなくなり、その結果維持できない財政支出が発生するかもしれない。その場合、財政支出の恩恵を受けるのは、社会的弱者である可能性が高い。あるいはその時増税されることで、世代間の不公平をもたらす。そうならないために、ある程度の財政規律を維持することは、社会の公正性の観点から必要である。このことは、財政には本来、公共財の供給に加え、格差を是正するような所得再分配機能が重要であることをよく示している。

 それに対して、ケインズ以来、財政は景気対策にも使われてきたが、それが失業を多少減らす以外大きな成果があったとは思えない。インフレが起こらなければ、例えば増税をしつつ失業者がいる限り政府が雇い続けることが最良の政策に成り得るだろうか?また、日本ではむしろ人手不足が心配されるようになっており、失業を利用とする財政政策を増やすのを正当化することは難しい。ケルトン教授のようなMMTを支持するなら、JGPを主張すべきであり、MMTを持ち出しつつ公共事業をやるべきと訴える人達は、せいぜい自分に都合のいいようにMMTを利用しているようにも思えてくる。財政による景気対策は望ましくない。景気対策が必要ならば、金融政策をやればよい。ゼロ金利でも景気が回復しないなら、マイナス金利深堀りを試すべきなのだ。