日銀が「現金レンタル始めました」と言ってマイナス金利深堀りする日が来るか?

 今年2019年10月の消費税増税を前に、アメリカ・トランプ政権の通商外交政策から貿易摩擦が生じ、世界経済の行先、そして日本経済への影響が心配されている。オリンピック特需の終了もあり、消費税増税が実施される10月以降景気が悪化する可能性は高まりこそすれ、小さくなりそうにない。しかし、消費税増税以外に日本経済を心配すべき要因があるわけで、もし日本経済が悪化しても、その全てを消費税増税の悪影響に帰することはできないということだろう。前回の消費税増税では、経済の悪化の全てを消費税増税のせいにするような意見が頻繁に見られたが、それは全くフェアではなく現実を正しく見ようとしていると思えない。
 最近までのマクロ安定化政策を担うのは世界的には金融政策であったが、ゼロ金利に到達した経済では手詰まりになっている、という意見が益々増えてている。しかし、本当にそうだろうか?ゼロ金利でも景気悪化が心配されるなら、マイナス金利深堀りをすべきである。直近の日銀金融政策会合で、一人の委員からマイナス金利深堀りを示唆する発言もあり、以前よりは、マイナス金利深堀りの注目度は上がったようにも思える。この状況で日銀がマイナス金利深堀りに踏み切る可能性はやや高まったのだろうか?それまでその委員の出身企業グループの銀行の経営陣がマイナス金利に反対する発言もあり、その委員もこれまでマイナス金利に対してどちらかというと否定的だったようなので、彼の本気度は私には半信半疑ではあるのだが。
 欧米では、今ではマイナス金利政策に好意的な研究者はそれなりに多くいるが、それはリーマン・ショックで欧米がゼロ金利に到達した頃からのことである。しかし、日本ではその20年近く前からゼロ金利状態であるのに、マイナス金利の発想はそれまでほとんど見られなかった。代わりに日本では、リフレと呼ばれる政策が一部から推奨され、それは具体的には金融政策では尋常でない量的緩和インフレ目標政策であり、その狙いはインフレ期待を醸成し実質金利を下げることにあった。それに対し主流の経済学者は、そのような政策で果たしてインフレ期待が起こるのか懐疑的であったが、第二次安倍政権への政権交代によって実行に移された。実際、日銀は政府との政策協定として物価上昇を約束し、日銀政策委員会は物価目標を2%に定めたが、この目標値は未だに達成されておらず、今なお継続しており、結局はインフレ期待は殆ど起こらず失敗に終わった。この目標に賛成した多数の日銀金融政策委員は、実質金利をマイナス2%まで下げる必要があることを認めていると考えてよいだろう。そうであればマイナス金利政策が実施された以降でさえ、物価上昇目標2%に賛成している政策委員がマイナス金利を少なくとも-2%まで下げようとはしないのは全く疑問である。
 しかし、そうは言ってもマイナス金利は日本ではあまり評判がよくない。私の経済学の知見では、マイナス金利政策を実行に移すのは極自然な考えだが、私が知る限り日本の経済学者で積極的にマイナス金利を支持している人は他に殆ど見当たらない。特に金融のミクロの研究が主な研究者がマイナス金利に批判的な場合が多いようだが(その理由は後述するように銀行の金融仲介機能への懸念であろう)、日本のマクロ経済学者にはマイナス金利深堀りを支持する人がもっと出てきてもいいと思うのだが…。
 確かに欧米でも最近までマイナス金利政策には慎重であった。その理由は現金というゼロ金利の金融資産の存在であった。しかし、マイナス金利政策を積極的に支持しているマイルズ・キンボールは、既に流通して現金はマイナス金利になったら退蔵されて流通しないのだから、それ自体に悪影響はない。問題はマイナス金利を利用して中央銀行から現金を引き出す裁定行為であるが、その現金は中央銀行からしか発行されないので、裁定行為が起こらないように中央銀行の現金窓口で課金すればよい、としマイルズ・キンボールのブログIMFワーキング・ペーパーでその方法を解説している(私の翻訳はこれこれなどであり、また、私自身も拙著この論文で解説している)。
 マイルズ・キンボールらの努力によって、現金の存在はマイナス金利政策の脅威であるという認識は薄れた。しかし、最近のマイナス金利政策への最大のチャレンジは、銀行がマイナス金利を預金金利に転嫁できず、(少なくともプラス金利下で)期待されるような機能を発揮できないのではないか、という点に移った。一方、スイス国立銀行は、マイルズ・キンボールの提案とはやや違った方法で、現金裁定を防止する方法を実施している。このスイス国立銀行の方法は、現在の日銀のマイナス金利政策に近いとも言えるが、マイルズ・キンボールはこれを「レンタル・アプローチ」と呼び、更に金融機関の金融仲介機能の維持をより容易にするために、小口の預金などをマイナス金利から遮断する方法をこれに加えたものを、共同研究者と最近新たに発表したIMFワーキング・ペーパーの中で解説している。ただし、富裕層や企業などの預金にマイナス金利が波及するのは、マイナス金利政策効果の波及ルートの一つであることにも注意する必要がある。
 そもそも金融政策とは中央銀行による金利誘導である。典型的な方法として、銀行間市場のような参加者が限られており、中央銀行はコントロール可能な短期金利(日本ではコール翌日物金利等)の参照レートを公表し、それから外れないように市場介入する。例えば、それまで銀行間市場短期金利が2%であったのを、日銀が1%に利下げ誘導すると発表した場合、この市場での資金の借り手は1%より高い金利で資金を調達するより、日銀が介入してくるので1%で調達することが可能になるだろう。銀行間市場で調達した資金は日銀にある準備預金口座に振り込まれるが、もしそれで増加する準備預金に日銀が2%の付利をしていたらどうだろうか?銀行間市場で日銀などから1%で借り入れた資金を、そのまま準備預金で置いておくだけで2%-1%=1%の鞘がとれるので、銀行はこのような取引だけでいくらでも利益を出すことができる。このため、銀行がこれ以上何もしなければ(恐らくそうする)、日銀の金利誘導は他の市場や実物経済へは波及しない。比較的最近までは準備預金の付利はなく(0%)、ゼロ以下でない金利下ではこのような心配はなかった。しかし、ゼロ金利より下げてマイナスに金利を誘導をしようとすれば、(少なくとも追加的に増える)準備預金への付利を、日銀の誘導する金利と連動させる必要がある。日銀が銀行間市場金利を1%に誘導した時、同時に追加的に増える準備預金付利も少なくとも1%以下にすれば、銀行市場で資金調達する銀行は1%で借りると同時に準備預金で日銀に貸していることと同じであるから、利益は相殺される。従って、銀行が利下げされた資金調達を有効に利用するには、準備預金以外で資金を運用する必要があり、その結果として利下げ効果が波及していく。このため超過準備が潤沢にあれば、準備への付利水準が誘導金利(政策金利)として働く。日銀が巨額の超過準備にプラス0.1%付利をし続けるのは、利下げ効果を減殺しているだろう。
 以上の事情は、金利がマイナスの場合でも同様である。しかし、マイナス金利の場合、銀行にはまだ現金というゼロ金利の抜け道がある。つまり、金融機関は銀行間市場でマイナス金利で調達し、準備預金に振り込まれる資金を現金で引き出してしまえばよい。銀行間市場で借りた資金にマイナス金利であれば、借り入れた資金より少ない額の返済でよいので、引き出した現金のマイナス金利分を残すことができ利益が得られるからである。これを防ぐための一つの有効な方法が、マイルズ・キンボールが提案している中央銀行の窓口で課金する預入手数料方式があるが、スイス国立銀行はそれとは別の次のような方法を既に実施している。
 スイス国立銀行は、準備預金に対する付利をゼロ金利とマイナス金利の二層に分けている(日本では現在では+0.1、0%、-0.1%の三層である)。金融機関が通常の業務で電信(ワイヤー)による取引をする場合、その決済に使われる対象となるのはマイナス金利が付利された準備預金である。例えば、銀行間市場でマイナス金利で借り入れた資金は電信扱いであるから、それによって資金が増える準備預金にはマイナス金利が適用される。それに対し、金融機関が現金を引き出したり預けたりする場合には、ゼロ金利が付利された準備が増減する。例えば、マイナス金利で調達した資金はマイナス金利付利準備を増やすが、この資金を現金で引き出した場合に減るのはゼロ金利付利の準備であり、結果マイナス金利付利の準備が増加しているので、利益は得られなくなる。
 マイルズ・キンボールらは、以上のような方法を比喩的にレンタル・アプローチと呼んでいる。中央銀行の現金の発行は、現金を必要とする人に一時的に貸し出しているようなものであり、使う必要がなくなれば、銀行を通じて中央銀行に返済することができる。中央銀行はマイナス金利の間、金融機関に対して現金の「レンタル料」のようなものを徴収するのである。そして更に小口の預金をマイナス金利から遮断する方法を組み合わせている。つまり、マイナス金利政策実行中に、金融機関がある条件を満たす顧客の預金に対してゼロ金利を適用した総額に対し、中央銀行はその金融機関のマイナス金利が付利されている準備預金からその同額を控除してゼロ金利適用にするのである。例えば月間平均残高100万円未満の全ての決済性預金を自動的に、あるいは個人(零細企業も可)一人につき申請(マイナンバー等を利用する)によって一銀行口座を選択させそこで500万円までの決済性預金を対象預金とするなどとして、各金融機関がそれらの対象預金にゼロ金利を適用した総額と同額の準備預金をマイナス金利の付利から免除するというものだ。これによって、民間金融機関がマイナス金利から小口の預金を遮断しゼロ金利にするように誘導できる。
 このアイデアを具体的に定式化してみよう(ただし、この定式化は私自身による)。まず、マイナス金利政策が開始して例えばtか月後の、各金融機関が中央銀行から準備預金を現金で引き出した累積純現金引出し額NWtを次のように定める。マイナス金利政策が実施される前までの累積純現金引出し額をゼロとしておき(NW0=0)、NWt=NWt-1+nwtとする。ここでNWtがストックであるのに対し、nwtは当該金融機関の月間tのフローの純現金引出し額である。例えば、dをある金融機関の準備預金への月間現金預け額とし、wを月間の現金引出し額とすればnwt=wt-dtである。準備預金に付利されるマイナス金利(=銀行間市場の誘導金利)を-itとすると、itNWtが金融機関が支払う「現金レンタル料」になる。更に、スイスのように小規模金融機関に配慮して、金融機関に対して一定額の最低限のゼロ金利適用準備額Aを定める。また、各金融機関の法定準備額をRtとしてBt=max[At,kRt]とする。ここでkは中央銀行が定める定数であり(例えば、1.1)、AtかkRtの大きい方をある金融機関のBt(ゼロ金利適用準備の一部分)とするのである。

  そして、予め定められた預金に対し、各金融機関がそれらの預金にゼロ金利を適用した預金の総額をCとする。各金融機関の準備預金額Rから、BとCを控除した分をマイナス金利適用準備預金とする。従って、マイナス金利政策において各金融機関が(翌月になって)準備預金に関して中央銀行に支払う月間の金額は

    it (Rt-Bt-Ct+NWt)

となる(つまり、ゼロ金利適用準備預金額は、Bt+Ct-NWt)。ただし、実際現在の日本でこのような制度を導入する場合、既にマイナスでない付利の超過準備が巨額で結果的にRが大きくなり過ぎていることから、金融機関の理解を得るためにはBtに相当する部分を大きく設定しておく必要があるだろう(kを大きくとる)。金融機関が制度を十分に理解していれば、NWtが深刻になることはなくマネジメントできるだろう。加えて、重要なのは中央銀行はRt-Bt-Ct+NWtはある程度小さくなるようにコントロールすることが可能であり、その結果金融機関のマイナス金利の準備付利負担が大きくなり過ぎないようにできる(ほとんどゼロに近くなるようにして、マイナス金利付利負担がほとんどないようにもできるだろう)。
 これによって、金融機関は小口の預金をゼロ金利に保つことが利益の毀損にはならなくなる一方、富裕層の大口預金や企業の預金にマイナス金利を適用するかどうかの選択を迫られることになる。マイナス金利を有効に波及させるためには、富裕層や企業の預金にはマイナス金利が付されることが望ましいが、金融機関にはマイナス金利のそのような転嫁が難しくマイナス金利貸出を増やせない場合には、ゼロ金利を維持することによってゼロ金利準備が増える預金の範囲を拡げることも可能である(実際には、マイナス金利政策効果を弱める側面もあるので、この適用範囲拡大は慎重であるべきだろう)。また、私が挙げた上記の具体例のような場合、新たに別の金融機関の口座を開設して100万円未満の預金が増えるかもしれない。そもそも、これは金融機関の名寄せを簡略化するためであるが、少額預金口座の増加が結果的に金融機関の管理費用を増やすことになる場合、マイナス金利以降新たに開設される少額口座にも金融機関が何らかの管理料を課すか、あるいは完全に名寄せすることにして個人のゼロ金利の預金の限度額を1000万円までとしてしまうことが必要だろう。
 金融緩和は経済の利子率水準を下げることである一方、銀行のような金融仲介機関の利益に重要なのは調達金利と運用金利差、つまり利鞘である。貸出の場合は、金融機関が中央銀行からマイナス金利で調達できても、その調達資金の一部となる預金金利をマイナスにできなければ、マイナスの貸出金利を転嫁できずに利益が圧迫されることになる。しかし、マイナス金利政策が金融機関の利鞘に影響することがあったとしても、このように工夫次第である程度克服できるのではないだろうか。逆に不況となり、経済の投資収益率が下がっていることが金融機関の利益に悪影響しているならば、それは金融政策とは無関係である。むしろ、金融機関の調達金利を金融政策で下げることで、経済全体の投資資金の調達金利を下げるのが金融政策なのである。ゼロ金利でも景気が回復しないなら、マイナス金利を試すのは自然な発想だ。
 ゼロ金利状態は、中央銀行に金融緩和のイノベーションを迫った。平時であれば金融政策を決める人達は、経済の良し悪しを見極めて金利の上げ下げを決めればよかった。それ自体は、適時行うという難しさはあるものの、極論すれば経済や金融政策の知識がなくとも空気を読んでさえいればできるのかもしれない。しかし、ゼロ金利に到達し従来の緩和策が使えなくなった時、金融政策を決める人達が真に金融政策に関する知見がなければ、金融政策のイノベーションなど起こせる筈はない。
 さて、日銀が「現金レンタル始めました」と言ってマイナス金利深堀りすることはあるだろうか?もちろん、それは日銀金融政策決定会合次第であるが、次回や近いうちであれば、今の日銀なら更に利下げしても-0.3%くらいまで下げるのがせいぜいのような気がする。しかし、私は今でも-3%くらいは下げる必要があると考える。金融機関は-3%で調達できれば-1%で貸出しても利益が出せる。また、富裕層の大口預金や企業向けの預金金利が-0.5%になってもそれなりに緩和効果は出てくる。また、利下げの銀行を通じた波及効果は重要ではあるが、資本市場でマイナス金利となり、社債発行などが活発化しても金融緩和効果は顕れる。このように銀行を経由する以外でもマイナス金利の効果はあるだろう。しかし、私が考える最も起こりそうな日銀が本格的にマイナス金利深堀りをするシナリオは、アメリカが大きな不況に陥ってから大胆にマイナス金利深堀りをして経済が回復するのを目の当たりしてからのように思う。
 マイナス金利を深堀りする金融政策は、まだ世界のどこも実施してはいない。単に政策金利をマイナスにするだけではなかなか上手くいかないのだろう。しかし、遅かれ早かれ、この未知の世界に各国の中央銀行は踏み出していかざるをえないとすれば、マイナス金利は効果がないとか金融機関の収益がどうのとばかり言っていないで、どうしたら上手くいくのか知恵を絞ることが必要だ。

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