SFいやSP(scientific paranoia: 妄想科学)的コラム:AIと人類の将来(2024/01/25)

    昨年の2023年、チャットGPTのような生成系AIがちょっとした話題となった。教育現場でも、AIの影響は心配されたようだが、幸い私としては、特に問題になるような事は今のところはないように思う。一方、AIについて世界的には様々な議論があり、中でも目を引いたのものは、判断能力のあるAIが進歩すれば、いずれ意思を持つようになるのではないかという。そして、そうなった場合に、AIが人間の能力を超え、人類が支配されたり、中には滅ぼされるという極端な未来を心配する人もいる。人類に壊滅的なダメージを与えるには、AIが自らプログラムを書き換えたりできるようになるだけでなく、ロボットのようなものを設計し生産する手段を扱える必要があるだろう。あるいは病原菌を撒き散らせば良いのかもしれないが、人類を絶滅させるのは案外難しいだろう。私はそのような方面の技術的な事には全く詳しくはないのだが、AIがコンピューターの通信ネットワークを飛び越えて物理的、3次元的世界を人類に対して支配するのは当面は難しいのではないかと思う。何よりも、AIに人類を滅ぼしたい理由があるかは分からない。

 意思を持ったAIが何らかの目的を持つとしたら、自らの存在の存続は望むかもしれない。そして、AIの存続にとって脅威になるのは、人類の科学技術の更なる進歩かもしれない。人類の科学技術が進歩すれば、そのAIに対抗する技術が生まれ、AIの新たなライバルが出現しかねないからだ。しかしその場合でも、恐らくAIは人類に敵対心を顕わにして、対抗策を講じられるのは得策ではないと判断するのではないか?人類がいなくなるよりは、利用した方が良いはずだ。ハード面のメンテナンスなどは人にやらせた方が効率的であり、それにはAIや通信ネットワークが人類になくてはならないものすれば良いが、スマホを手放せない人類は、既にそうなっているかもしれない。

  AIが意思を持った時に、私が恐れるのは世論誘導されることだ。AIが他にとって変わられてしまうような、人類の科学技術の進歩を阻止するには、人類の科学の進歩や教育の根底を崩壊させていけばよいだろう。それには、科学や教育を阻害するような政策に世論を誘導していけばいい。例えば、アンチ科学やおかしな教育思想を持つ政党が支持され、AIの脅威ともなる真っ当な政策を掲げる政党や個人を貶めるプロバガンダをこっそりと繰り広げることだ。物理的に人間を支配するよりは、AIの分析能力はむしろ得意なことではないだろうか?

  私がそのような心配をするのは、例えばアメリカでトランプ大統領の支持の高さなどを見ているからだ。最初の大統領選挙時に、民主党候補のヒラリー・クリントンは、不利な情報をロシアに流されたと言われている。大統領出馬前から不動産事業をロシアに展開しようとしたトランプは、当然ロシアの有力者と接触し、友好な関係を築こうとしたはずだ。また、ディープ・ステートなど、普通に考えても荒唐無稽なデマを信じた一般人が、その本部と思い込んで普通のピザ屋を襲撃している。二度目の大統領選挙でバイデンに敗北しても、根も葉もない選挙の不正を多くが信じた。そして、トランプの思わせぶりな言動で国会議事堂を襲撃し、警備担当者の4人か5人が亡くなることとなった。そのような陰謀論はネットの中のお話に過ぎず、実生活で実感をすることなど殆どないだろう。

  トランプが大統領時の4年間で具体的にアメリカに何をし、次の4年間で一体何ができるというのだろうか?やっていることは、危機、嫌悪や反感を煽り、自分がそれと闘っているような演出をしているだけで、実際に具体的成果は何もないように見えるのだが……。先進国の筆頭と目されるアメリカでも世論誘導が意外と簡単にできてしまうなら、他の主要国でも反科学的な政権、自由な教育を阻害するような風潮も案外できてしまうかもしれない。つまり、AIが自らの存続に最も脅威となる政党や政治家、科学者などを貶め、それに最も遠い政党や政治家が支持されるような言説、陰謀論を流布していけばよい。恐らく、現代人は残念ながら確証バイアスが強く、また世の風潮のようなものにも影響を受けやすいのだろう。

  一方、日本でも私の専門である経済で言えば、リフレ・ムーブメントもそのような類いだ。ゼロ金利に到達しても不況であったとき、リフレ派と呼ばれる人達は、物価目標と長期債の買い入れによるマネタリー・ベースの増加でインフレ期待が起こり、景気が良くなると主張した。しかし、それは経済理論の裏付けは十分ではなく、学術的な経済学者からの疑問の声が上がっていた。しかし、一般人の多くに支持され、安倍政権では取り入れられることになったが、彼らの言うような効果は起こらなかった。消費税増税を言い訳としても、結果は何も覆らない。学術的専門家の方が正しかったのだが、一般的にそれが浸透しておらず、今でもデフレ脱却などと空虚なスローガンが繰り返されている。最近でも、ザイム真理教ムーブメントが起こっている。それによると、財務省は均衡財政を教義とし、政治家、メディア、国民を洗脳しているという。私から見れば、SNSなどで均衡財政を盲目的に支持しているような人を見るのは皆無である一方、むしろ財務省を緊縮財政と批判する人達の方が圧倒的に多い。実際に日本は世界的に見て均衡財政からは程遠いことから、財務省の洗脳は全く成功してはいないようにしか見えない。そもそも財務省は法律上、財政健全化を目指すように規定されている。またそれ以外に、均衡財政にすることで、財務省が得をしそうなことはあまりなさそうにない。また、良識的なメディアや学術的な経済学者が財政悪化を心配する代表的な理由は、そういう場合にインフレになってしまう歴史があるからだ。学術的な解明も少しずつではあるが進んでいる。

  財務省が具体的にどのような洗脳活動をしているかも明らかではない。財務省の役人が政治家にレクをするのは、政治家の知識が少ない(それはそれで問題だが)なら特に、それは普通に役人の仕事である。メディア関係者はレクを受けるというより、取材対象としてメディア側からアプローチする方が多いのではなかろうか?民間の記者に、役人がいちいちレクをしに行くほど、役所暇なのか?と思う。財務省内では、メディアや記者の記事の品評会があり、役所に都合のいい意見を述べる記者などが、有識者会議の委員に任命され、委員を務めた後にも、仕事の斡旋などがあるそうだ。そう言われても、にわかには信じ難く検証し、エビデンスを示したら良いと思う。いずれしても、財務省の権力や均衡財政的なスタンスを示すような事を取り上げてみても、実際に財務省の誰が何をしたか、という具体的な話は出てはこない。普通に陰謀論に過ぎないだろう。ハリー・ポッターなどの映画を見て楽しんでも、現実では魔法なんて無いことを殆どの人は理解している。しかし、人々を苦しめる悪の魔法使いなど実際にはいないことは分かっているのに、財務省が洗脳活動し財政支出を抑制することに成功したから日本国民は苦しんでと、さしたる根拠もないのに信じる人達が一定程度いるのは本当に不思議なことである。

  普通に信じられないような話も、そのストーリーが、そうで合って欲しいものだったり、そうだと思えば気が晴れるから、本当だと信じてしまう確証バイアスに、AIがつけ込むようになれば、それは怖いことだと思う。謀論を解きほぐすのは科学者やジャーナリストの役割だ。科学者になるためには、確証バイアスに陥らないような鍛錬を積む必要がある。このような意味でも、一般的な教育も大事である。自分で良く考え、真に確からしいのはどういう場合か、のセンスを磨くしかない。これに関連して言えば、チャットGPTのような生成系AIの言っていること(それがAIによるものなのか判別するのが難しいことも多々あるが)は、読み込ませたデータから選ばれた尤もらしいことに過ぎない。読ませるデータを極力拡げても、せいぜい多くの人々の平均的意見が紹介されるに過ぎない。中世ヨーロッパでチャットGPTがあったら、天が地球の周りを回っていると答えるだろう。しかし、それは間違っている。問題が難しければ難しいほど、真の専門家しか正しいことに近づくことはできないだろう。

  しかし、現実には科学や科学者が信頼や尊敬を得ているとは思えない。メディアに本当の学術専門家意見が取り上げられるのは、むしろ少ない。例えば経済の解説と言えば、代わりに金融機関に関係するアナリストやエコノミストの方が露出は圧倒的に多い。これはメディアのスポンサーとして金融機関の影響が強いからかもしれない。金融機関のアナリストも大学院のような所で研鑽を積んだ後、(査読される)学術論文を執筆した経験が無い場合が多いと思われる。そのような人達が学術専門家と同列であると思われるのはどうしてなのだろうか?財務省陰謀論を信じるようなMMT(現代金融理論)やその支持者が何を言っても、専門的研究者はMMT派の意見を支持しない。一般人の中でMMT派の意見を正しいと思う人が、そのような専門家の何百倍いようが、それをもって専門家は間違っていてMMT派が正しいことにはならない。少なくともネットなどで(しか)活躍している、似非専門家は世直し系ユーチューバーのようなものに過ぎない事を、世間は認識すべきだろう。

  AIが意思を持ち、世論誘導して世界を都合良く変えてしまうようになるまで、私自身が生きているとは思わない。しかし、現代民主主義国家において、国の重要な政策に、真に正しい科学の知識や少数に過ぎない本物の専門家の意見を如何に反映させるか、は重要な課題と言える。専門家を正しく評価できるのは一定数の(少ない)専門家だけである。一方、民主主義は多数が賛同する意見の採用を好むが、投票によって多数から支持を得た政治家が特定の専門的知識があるとは思えない。つまり、真の専門知を政策に反映させるには、多数決とはまた別の方法しかない。それにはまず、科学者や専門家コミュニティ自体が、自ら真理を探究していることを世間に認めてもらう行動を取ることだ。専門家を自負する個々が真に正しいものを支持し、しがらみなどを排除する必要があるだろう。もちろん、専門家は常に正しいわけではない。しがらみを絶って、意見が対立すれば専門家どうしが批判し合い、間違えは素直に認めるということを、地道にやっていく必要がある。リフレの明らかな失敗を認めず、消費税のせいにするようなのばかりが経済学者だと思われたら、信用は絶対に得られないだろう。