「新型コロナオペ」に見る日本のマイナス金利政策の問題点

 日本のマイナス金利政策の問題(の一つ)を簡潔に言えば「やっていないに等しい」ことであり、また、その背景にはマイナス金利政策についての無理解があるのだろう。マクロ安定化政策として中央銀行がやることは金利誘導であり、誘導の利幅はその重要な構成要素である。政策金利をゼロからたった0.1%マイナスにしたくらいなら大した効果が出るはずはない。にも拘わらず、これだけ長くやっても効果がでないマイナス金利政策は失敗で、止めてしまった方が良いという意見さえ見られる。これが一般の人なら仕方がないとも思うが、少なからぬ金融や経済の専門家と目される立場の人達なら、どのような専門知識でそのような結論に達するのか、私には理解できない。マイナス金利の本格的な深堀りは、まだ世界のどこもやってはいないが、例えば金利がマイナス5%になった時に、その効果がマイナス0.1%と同じであると考える理由はどこにもない。
 新型コロナのような感染症がある時に、従来的なマクロ安定化政策の優先順位はあまり高くないだろう。従って、日銀が始めた「新型コロナオペ」は景気回復のようなことを意図しているわけではなく、このような社会の危機では、金融市場に不測の事態が起きることをできる限り防ぐことであろう。中央銀行の管轄するような金融市場とは、銀行のような金融機関の行動のよって構成されている。従って、一つの金融機関の危機が、他の金融機関に連鎖することは最も危惧される。金融機関の危機とは、金融機関がなんらかの損失を出して経営危機に陥り、他への支払いが困難になることである。これを防ぐには金融機関がリスクを取らないように損失を出しそうな資産を保有しなければよいが、これは貸し渋りなどが起こることを意味し悩ましい。このため、中央銀行など政府機関がすることは金融機関のリスク負担を肩代わりすることであり、それは実際に損失が出てしまった時には、政府が金融機関の損失を補填することを意味する。また、実際には危機への予防的な措置として、金融機関全体への補助金的な優遇措置がとられることも多い。
 しかし、政府がほとんどのリスクを抱え込むのも納税者の負担を大きくすることになるので、日頃から危機に備えることも重要だ。リーマンショック以来、多くの経済学者は、金融機関により多くの自己資本を積ませることを主張している。一方日本では、金融庁のような行政機関が、経営が脆弱な金融機関に「新たなビジネスモデル」に転換することを要請しているようであるが、経済成長が低迷している時に、金融機関が利益を増やす方法が、そうそうあるとは思えないし、危機時に公的資本注入などで救済されると予想されるなら、なおのこと上手くいきそうには思えないのだが。
 「新型コロナオペ」は、民間金融機関に対し、所定の担保資産額と新型コロナ対策に伴う政府補償が付いている貸出額の二つの合計金額の分、日銀がゼロ金利で貸出をする。この日銀の貸出は金融機関の当座預金(準備預金)に支払われるが、この分増加する準備の付利をプラス0.1%とするというもののようだ。金融機関が日銀からゼロ金利で資金を借り入れ、準備のままで置いておけば、何もせずに0.1%の利鞘を稼ぐことができる。平時ならこれが一体何に対する報酬なのか疑問となろう。この所定の担保資産額に応じたこのような貸出は、金融危機の予防策である(それ以外に理解することは難しい)。
 以上のような問題は、マイナス金利政策にも生じ得る。マイナス金利政策は、本来は銀行間市場の金利政策金利の一つ)を中央銀行がマイナスに誘導するものである。つまり、中央銀行が民間の金融機関にマイナス金利での貸出をオファーすることで誘導できる。この中央銀行のマイナス金利オファーに民間金融機関が応じれば、中央銀行はその準備預金に送金する。そこでもし、例えば準備預金の付利がゼロ金利なら、その金融機関は中央銀行から借りた資金を準備預金に置いておくだけで、マイナス金利分を手元に残すことができる。金融機関は中央銀行からマイナス金利で借りはするが、それ以上は何もしなくてもよいのでマイナス金利はそれ以上波及していかない(結局民間の支出に繋がることはない)。これを防ぐには、民間金融機関が中央銀行からマイナス金利で借り入れた分の準備に対して、同じマイナス金利を付利しておく必要がある。そうすれば、民間金融機関は中央銀行からマイナス金利で借りた資金を準備に置いておいても利益にはならないので、準備のマイナス付利より条件の良い収益を求めてその資金を運用する必要がある。そうすることでマイナス金利は波及していくことになる。従って、増加する準備預金に対するマイナス付利は必要なことである。
 「新型コロナオペ」のもう一つの対象である、金融機関が行う新型コロナ対策に伴う政府補償付きの貸出は、これを利用する事業者が一定の要件を満たせばゼロ金利となるようだが(詳しくはよく分からないが、貸出金利を政府が補填もするようだ)、金融機関は例え貸し倒れが政府から補償されリスクが無くなっても、資金コストがゼロ金利であればゼロ金利で事業者に貸出しても利益にはならず、金融機関の操業上の費用が持ち出しになる。従って、この制度に対し金融機関が積極的になるには、報酬が別途必要であり「新型コロナオペ」がその役割を担っているのだろう(増加する準備の付利をプラス0.1%とすることによる)。本来的にはこのような金融機関の支援と政府補償付きの貸出額とリンクさせる必要はないように思うが、そのような貸出を増やすためのインセンティブにはなるだろう。
 以上のような信用保証を含む政府の一連の金融支援によって銀行の貸出は増えている。マイナス金利深堀りに否定的な意見の中には、金融機関収益が減少することが挙げられている。しかし、現状でも金融機関の収益に準備預金のマイナス付利の影響はほとんどないと言ってよい。実際にはマイナス付利されている準備預金は極一部であり、多くはむしろ以上のようなプラス0.1%付利だからである。このように準備預金のマイナス付利はある範囲を超えた分だけで良いので、金融機関の収益には脅威にはならない。マイナス金利政策が銀行の収益に負の要因となり得るのは、低金利で貸出金利が低下する一方、預金金利をマイナスにできないかもしれない点である。しかし、実際に預金金利をマイナス金利には全くできないのかは、マイナス金利深堀りを経験したことがないので本当のところは分からない。企業向けや大口預金なら可能ではないかと思うが、金融機関が個人向けの預金などにはマイナス金利を回避した分に応じて補助してやればよい。やり方は以上と基本的に同じであり、個人向けの預金に対するマイナス金利を回避した額に応じ、準備預金のマイナス付利を免除すればよい(『日銀が「現金レンタル始めました」と言ってマイナス金利深堀りする日が来るか?』参照。)

supplysideliberaljp.hatenablog.com 今はまだ、マクロ安定化政策として金融緩和をすべき時ではない。また、新型コロナのワクチンは治療法が確立された時、抑圧された需要が噴出してくるだろう。この需要の反動増が一巡した時、マイナス金利深堀りの検討を余儀なくされることになるかもしれない。金融政策を決定する人々が不勉強のためマイナス金利を理解せずに実施しないことを決めるなら失われた20年を超えて不況が続くことを心配する。