雇用の「増加」は金融政策の効果か、それとも人口動態の影響か?

注:2020年9月に表6に生産性を加え加筆した。

 

 最近は以前に比べて雇用の心配が減り、むしろ人手不足と言われ外国人労働者の導入まで議論されるようになった。この雇用状況の改善には黒田総裁以降の2013年に始まる金融政策(異次元緩和)の効果という主張が多く見られる。しかし、失業率や有効求人倍率は明らかに異次元緩和以前の2010年から既に改善している。それに対して、就業者数のような数量的な指標が2013年頃から改善しており、これは2010年から失業率だけが低下したのとは異なる、というのが金融政策効果論の根拠となっているようだ。しかし、それは金融政策の雇用への波及を直接示したものではなく、雇用は金融政策上の関心事であっても、金融政策の雇用への波及効果を検討してみれば、むしろ金融政策で雇用が改善したと結論付けることは難しい。

 金融政策が雇用まで波及するにはある程度時間がかかる。金融緩和の中央銀行のアクションから(予想実質)金利などの低下が速やかに起こっても、企業がその緩和効果を確信してから投資などを増やすことで需要が増え、それに対応した生産の増加することで雇用が増えるまでには時間が必要だ。このように緩和策発動後の今日明日で雇用は増えないので、2013年頃(恐らく2012年半ば)からの就業者数増加のような雇用の改善が、金融緩和によって企業の投資や雇用増加の意思決定を経てもたらされたなら、少なくともその1年位前の2012年までには金融緩和策が発動されていないと辻褄は合わないのである。

 では一体何故、2013年から就業者数が増えたのか?それは人口動態の変化による影響と考えられる。一つには逆説的であるが少子化や人口減少の影響であり、主に生産年齢のフルタイム労働者が減った分を、パートタイマーのようないわゆる非正規労働者が複数人で埋めた結果が考えられる。実際に内閣府の平成29年の経済財政白書には投入労働時間は増えていないことが報告されている。(「最近の雇用状況について -平成29年度版「経済財政白書」を参考に-」ハフィントンポスト日本版を参照。)更に今回特に注目するのは、団塊世代194749年生まれ)が2007年頃から60歳という退職期を迎えたという特殊な要因によって一時的に雇用が大きく減少し、その回復はリーマンショックや東日本震災と重なって遅れ、最近になってようやく就業者数などが増えたというものである。この論考では、この点をデータによって検証してみる。

 以下の表1は、2008、2013、2018年での就業者数について、総数及び5歳単位での年齢階級別に『労働力調査』から作成している。就業者総数を2008年と2013年で比べれば減少、それから2018年で増加している。年齢階級毎に見てみよう。この場合、ある年齢階級は5年後には次の階級に進むので、その変動が赤と青の矢印で示されている。

          表1 年齢階級別就業者数(万人)

 この表1の就業者の以上のような変動の差をとったのが表2である。例えば表1で2008年に20~24歳の階級の就業者は454万人であったのが、この階級は5年後の2013年には25~29歳の階級となり561万人で、この差が107万人であったことが、表2の08→13の行の20~24の列に記されている。このようにしてみれば人口自体の変動にはあまり影響を受けない一方、人口動態の影響を良く捉えることができる。就業者総数が2008年からの5年(08→13)では減少、2013年から(13→18)では増加していることを反映し、表2でも各年齢階級も2013年から改善されているように見えるが、それらの変動の仕方のおおよその傾向は大きく変わっているようには見えない

          表2 年齢階級別就業者数の変化(万人)

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  若年世代の雇用は2008年から2013年(0813でも減っているわけではない。20~24歳では2008年から107万人、2013年からその後の5年で就業者の増加が一番多くなるが、この年齢層は学生が新卒で採用される場合が多いためであろう。少子化の進行にも拘わらず2013年からの増加の方が大きく、より多くの新卒採用が増えたこと自体は良いことだ。一方、25~29歳の就業者数は、2008年からでは僅かだがマイナスになるなど、それより直上の年齢層と比べてもあまり増えていないのは、新卒者の離職が社会問題化したようなことを反映しているのかもしれない。また、就業者数が減少に転じるのは40歳台後半くらいからのようにみえる。

 更に表2によると、2008年から(0813)と2013年から(1318)の変動を比べ、最も大きく異なるのは、5559歳の階級の変動であり、同階級では2008年から168万人、2013年から74万人5年間で減少した。つまり、2008年からの55~59歳の階級の就業者数の減少は2013年からに比べ約90万人も多く、60~64歳でも30万人以上多く減少している。これは2008年頃に人口自体が多い団塊世代が退職期を迎えたことを反映しているだろう。一方、2013年からは少子高齢化が進んで人手不足に陥るようになり65~69歳の就業者数は大きく増加していることが表1と2で確認できる(ただし、他の階級と違って次の階級は70歳以上なので母集団は大きく変わってしまうことに注意)。

 以上の55~59歳の階級の変動の結果、60~64歳の階級は表1より2013年で577万人、2018年では525万人となった。これに対して(階級)人口当たりの就業率が表3に示されているが、60~64歳の階級の就業率は2013年の58.9%に対し、それより就業者数は少ないにも拘わらず2018年では68.8%と大きく上昇している(また、2008年は就業者数は511万人と2013年より少ないが就業率は57.2%であり、2013年の就業率は特に上昇したわけではない)。つまり、2008年に5559歳の階級の就業者数の減少は、かなりの程度人口自体が多かった(いわゆる団塊世代)ため、彼らが制度上の定年に達したことによるものであったと考えられる。一方、2013年から2018年の55歳以上の階級の就業率の大幅な上昇は、賃金がそれほど上がっていないことと併せれば、生産年齢人口の減少による人手不足のためということが示唆される。 

         表3 年齢階級別就業率(%)

 また、失業率が既に2010年から低下していることに対して、2010年から2013年頃までは労働力人口が減少する「悪い」失業率の低下、2013年以降は労働力人口の増加を伴う「良い」失業率の低下という主張も目にするが、その理由は前半の失業率の低下は、経済の悪化で職探しを諦めた人が多かったためと考えているからのようだ。そう言っている人は、知り合いにそういう理由で職探しを諦めた人が沢山いたのかもしれないが、労働力人口について表2と同じように作成した表4によれば、就業者数とその傾向は殆ど変わっていない。つまり、日本全体では2008年からの5年間は単に団塊世代が非労働力人口へと退いたことによって労働力人口が減ったことが大きく、その多くは(それまでの待遇が落ちるような)再就職を諦めたというより、むしろ退職を最初から予定していた可能性が高い。退職して労働力人口から非労働力人口となる人数を新卒などの新規の労働力人口で補充し切れず、完全失業者からの補充が進めば失業率は低下する。(「雇用指標改善の真相」ハフィントンポスト日本版を参照。)

      表4 年齢階級別労働力人口の変化(万人)

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   正規、非正規雇用問題は何かと話題になるが、表5は正規雇用として正規職員・従業員についての表2、4と同様のもので、この正規雇用の変動は以上とはやや異なっているように見える。新卒を含む20~25歳から55~59歳の階級の変動は就業者数や労働力人口と似ているが、25~29歳の階級の正規雇用の増え方の差は2013年からが特に大きいようである。これがそれまで新卒で非正規でしか採用されなかったような人が、最近になってより多く正規採用されたとすれば大変良いことだ。そしてそれは恐らく、団塊世代の退職の補充が2014年頃からようやく活発化したからだろう。60歳以上の正規雇用の変化は2008年からと2013年からで殆ど差がない(正規雇用の場合、70~75歳の階級のデータが得られるので、就業者数と労働力人口の場合とは異なり65~69歳の階級の変動の母集団と対応する)。団塊世代の大量退職に対し、就業者数と同様に新卒採用が2013年以降から補充が活発化した一方で、2008年からの5年間ではその補充が遅れていたと考えられるが、正規雇用ではこの点をより鮮明にしている。

      表5 正規職員・従業員数の変化(万人)

 2012年に成立した「改正高年齢者雇用安定法」が2013年から施行され、いわゆる定年が60歳から65歳に伸びた。この法律の施行直前は場合によって賃金が高い高齢の労働者を雇い続けることを嫌って早期退職を促す効果があったかもしれない一方、施行後は65歳以上の正規雇用にもプラスである可能性は高い。しかし、2008年からと2013年から60~64歳の正規雇用の変動を比べて差はないので、効果は非正規雇用に転換されるという形で表れているようにみえる。2018年には法改正の過渡期を過ぎるため2013年以降に比べて、今後の60~64歳の階級の正規雇用の減少幅は拡大するかもしれない。

 最後に雇用の変動を生産の推移と対応させておこう。表6には生産と以上の雇用指標が2008年から2018年までの10年間でどのくらい変化したかを示している。生産には内閣府が公表している実質GDP(2011暦年の価格基準、連鎖価格でデフレート、2018年は第二次速報値による)を使用した。この10年間で見れば、生産(実質GDP)は約7%増えたが、それに対して就業者は約4%、正規雇用は約2%しか増えていない(生産に比べて増えない正規雇用に対して非正規がより増えている)。2008年と2013年からの5年間毎の変化に分けて見れば、生産(実質GDP)は前半5年で約2%、後半で更にその約5%増えている。2008年からの生産の増加が小さいのは、リーマンショックの影響が大きく、2008年の後半から生産は減少に転じ、2009年は更に大きく生産が減少したことを反映している。そして、ちょうどそのころ団塊世代の退職期と重なり、企業は雇用のリストラを加速させたと考えられる。2010年から生産は回復し始めるが、企業が慎重姿勢であれば雇用の回復(補充)は遅れるだろう。また、2011年には東日本大震災も起きたので、雇用の回復が遅れるのは尚更だっただろう。このように、雇用指標が2008年からの5年間で1を下回ったのは、団塊世代の退職による減少を十分には補充をしなかったと考えられる

          表6 生産と雇用の変化

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  生産性=実質GDP÷就業者数

  生産は2013年にはリーマンショック前の水準を回復し、また2013年頃から就業者や正規雇用が生産の増加以上に増加している。これはその前の5年間で減った雇用の補充がこの5年間でようやく追ついてきた結果と考えられる。特に正規雇用の増加は2013年以降大きいように見えるが、恐らくそれは2008年からの5年の正規雇用の減少が大きかったことの反動であり、その回復が始まるのは遅く2014年からである。2013年からの5年間で生産は安定的に推移するが、その増加は約5%でこれは実質成長の年率平均でみれば1%以下であったことになり、リーマンショック以前より成長が加速したようには見えない。このことも2013年からの異次元緩和が生産に効果的で雇用の増加を加速させたことに疑問を投げかけている。そして、それは2013年からの5年の生産性(実質GDP/就業者)の低下に現れている。ただし、これは就業者数を基準としているので、投入労働時間を基準とすれば違ってくるかもしれない。

 政権交代を区切りに時系列データを見るのはある意味自然なことかもしれないが、それが経済の変化を適切に捉える保証は全くない。2012年頃からの就業者数の増加が政策の効果なら、2010年から2013年頃までの生産の回復が大きかったのは当時の政策効果かもしれない。しかし実際は、2010年から2013年頃まで生産の回復は政策効果というより、一度減った分の自律的な回復であった可能性が高い。そして、これに同意できるなら、そもそも生産に対し遅行することが知られている雇用についても、2012年頃からの就業者数の増加の多くは、そのかなりの部分が一度減らした雇用を企業が自律的に回復させたのに過ぎない、と考えることにも同意できるはずである。表6の2008年からの5年の生産性の上昇と2013年からの5年の生産性の低下はこれを裏付けていると言える。

 雇用の改善が金融政策によると主張する人は、人口動態の影響をまるで無視しているかのようだが(その理由は雇用数の増加のよう)、雇用は生産に派生して需要されるものであり、事実として以前と比べ金融政策が生産の成長トレンドを上向かせてはいない一方で人口動態の変化は進んでおり、これらの事実を無視して雇用を語るのは不自然だ。もちろん、2013年からの異次元緩和に何も効果がなかったというわけではない。異次元緩和の量的緩和プログラムは長期金利を押し下げる効果が多少はあり、その分の緩和効果はあっただろう。しかし、それは経済成長のスピードをそれ以前より押し上げるには全く力不足であり、雇用の改善の主因とは考えられない。

 このように言うと金融政策無効論を主張しているように思われるかもしれないが、そうではない。効果が疑問なのは2013年から始まった異次元緩和と称された緩和パッケージについてであり、特にそれが雇用を増やしたということに対してである。最近では、MMT論者など財政支出による景気回復を求める意見が強まっているようであるが、正しい金融緩和が実施される限り財政による景気浮揚策は必要ない。それどころか財政支出は民間の支出に利用される資源と競合し、金融政策の効果を減殺しかねない。人手不足となっている現在は特にその心配は強く、生産性の向上が現状で強く求められている。生産性をより向上させるのは財政支出より、金融緩和によって促進される民間投資の方が効果は大きいと考えられるからである。生産性が向上すれば、それを反映して賃金が上がり、それによって恒常所得の増加が見込まれ消費も増加する。今でも必要なマクロ政策は財政の拡大ではなく金融政策であり、正しい金融政策とはマイナス金利深堀りである(「マイナス金利政策は何故次世代の金融緩和なのか」ハフィントンポスト日本版を参照)。既に財政政策は何度も試みられているが、マイナス金利深堀りは世界のどこも実施してはいない。やってみる価値はあるだろう。